『 なぜ、ニットデザイナーなのか?』
ニット姫2021年9月12日 15:39
『 なぜ、ニットデザイナーなのか?』
こんにちは。
ニットの伸びるチカラで
「1本の糸から未来をインプルーヴ(改善)!」
をモットーにする
「アパレル界のニット姫」こと
工業ニットスペシャリストのインプルーヴです。
今日は、なぜ「ニットデザイナー」(を選択した)のか?
について、綴ってみたいと思います。
前回の第②話【なぜデザイナーを目指したのか】の
続編となりますが、
一言でいうと、
「これこそひとりででも独立できる職業だ!」と
思ったからです。
この職業を知ったのは、前回お話しした(株)ワールドへの
就職がきっかけです。
この会社は当時幾つものブランドを抱えていましたが、
中でも基幹ブランドの「CORDIER」という部署に
配属されました。
職種は、一応念願通りファッション・デザイナー。
このブランドは、この時は会社の柱と言われる事業部で
入社当時年商460億(?)ほど、
1ブランド単位の年商では世界第2位を誇る規模でした。
![](https://improve-knit.com/diary/cms/wp-content/uploads/2021/09/20bec970056f213b17699dd6de753961.jpg)
衣料品の卸売りメーカー(株)ワールドが、
最初に自社ブランドとして発表したのが
「ワールドコーディネイト」という名前で、
これが後に「CORDIER」となり、
高度経済成長からの時代の波と共に
同社の成長の柱となったマンモスブランドでした。
因みに、その時の世界第1位は
ジーンズブランドの「リーバイス」です。
そんな、マンモスブランドだったから、
私の様な全くの無名の小さな専門学校卒の、
まったく未知数の人間でも【変わり種】として
採用してもらえる余力があったのだと推測しますw
そのブランドでは、
年に4回のメイン展示会に
年2回のオーセンティック(超高級品)展示会、
現物展示会ーと、
実質年10回程度の展示会開催回数で、
1回の展示会企画品番数は恐らく500品番を
軽く超えていたと思います。
ーなので、デザイナー・パタンナーと
生産管理が集まる企画室の所帯人数も多く、
アイテム毎に企画チーム分けをして
商品開発されていました。
私の最初の配属はジャケット&ボトムチームの
デザイナーアシスタントでした。
入ってすぐの新人の仕事の大半は、
8:45朝礼の1.5時間前出社で掃除機掛け全員の机拭き、
机上に残っている昨夜のお茶のカップと山盛りの吸殻の
灰皿を回収して、洗って各自の机に配置する。。
から始まります。
其々が個人の好みで持ち込んでいるので、
カップや灰皿のデザインも価格もマチマチ。
もしも、落して割ったら…で、洗うだけでも神経使います。
新人が最初に先輩から渡されるのは、
代々引き継がれている、各先輩方のコップの特徴と
灰皿の特がをイラストで書き込まれた
「座席表」-。
もしも、コーディネーター(部長の次に企画の中で一番偉い人)と
サブコーディネーターの灰皿を置き間違えようものなら…💦
後は、電話当番とお客様へのお茶入れ。
商談時間の様子を見て、
珈琲(若しくは紅茶)➤日本茶(若しくは昆布茶)と
お茶を淹れなおします。
日本茶は、茶托の年輪の狭い方がお客様側になるよう、
年輪の向きに気をつけるなどのマナーも入社研修で学びました。
(年輪が広い方をお客様に向けると、
「お客様を刺す」という意味になるそうです)
このお当番でお取引先様の社名とお名前とお顔、
会社の特徴を覚えます。
先輩方にも朝一とお三時のお茶入れをするのが日課です。
でも、そのようなことを通して
「ありがとう~」と言っていただき、
先輩とも仲良くなれて、
仕事も教えてもらえるような
関係性が醸成されていきました。
今のワールドさんにはもちろんこんな徒弟制度の様な
習慣は残っていませんが、
当時は、自分は新卒入社で他社と比較するモノサシを
持っていなかったので
社会人とは先ずはこういうことから始まるのか~と
思っていました。
…が、同期入社の何割かは、これに我慢がならずに
「僕はダンボール運びの為に入社したんじゃない!」と
怒って1か月も経たずに辞めていく人もいました。
学生時代に名だたる賞を総なめにした人なども
あまり長くは在籍していなかったように記憶しています。
話をデザイナーキャリアにもどしますねw
当時、そのジャケット&ボトムセクションで
させてもらった企画らしい仕事で一番記憶に残っているのは、
モッサ(素材の種類)のコートやジャケットの【丸縫い】です。
【丸縫い】とは、1点サンプルを工場に依頼する前に、
企画室内で実際の生地を使って1着まるごと縫製して
試作品を作ることです。
社内に「サンプル室」という専門部署がありましたが
数多あるブランドが開発するすべての試作サンプルは賄えないので、
上記に挙げた品番数の何パーセントかはブランド内で試作して、
パターンやデザインを確認してから
工場さんに1点サンプル依頼をしていたのです。
※そんな作業の中で、ロングコートには上端が
すっきり美しく落ちるように、
重り代わりに裾の内側に5円玉を入れて
縫う技などを知りました。
…今、そんな服売ってないですよね^^;
そうして先輩方のアシスタントデザイナーをしている中で、
私はすぐに自分の人生計画で致命的な欠陥に気付きました。。。
「デザイナーは一人ででも独立できる職業じゃなかった…」
とうことに。
デザイナー其々にもちろんデザインの特徴があり、
立派な単独の職種なのですが、
例えば同じデザイン画を渡したとしても、
それを基にパターンを起こすパタンナーの
デザイン画の解釈や腕次第で、
見た目(=シルエットやライン)や着心地が
全く変わってくるのだーということに気付きました。
つまり、将来独立を目指すなら、
自分にとって最高のパターンを引いてくれる「バディ」の
存在が必須だということに…
これは、かなりショックでした。。。
独立を目指すにあたり、自分に人生を預けてくれる”相方”を
見つけないと私の未来計画は成立しないのです。
当時の自分に、他人の人生を巻き込んでまで
自分の人生を遂行するという勇気も自信も湧きませんでした。
そもそも、こんな大企業に紛れ込めていること自体が
青天の霹靂、奇跡なのに…
そんなころ、社内の組織再編があり、
これまでのアイテム毎の商品開発から
テイスト毎のセクション分けによる
スタイリング提案型の商品開発に方針が変わり、
私は「フェミニンセクション」という
チームのアシスタントに配属されました。
ここで私は【ニットデザイン】という、
専門学校では全く習わなかった
専門職中の専門職と感じられる職業と出遭ったのです…
…という、やっとニットデザインという職種と
出遭ったところで、今日は時間切れ~
ごめんなさい💦
続きは③-2 として近々お届けします~。
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