『 なぜ、ニットデザイナーなのか?』

こんにちは。
ニットの伸びるチカラで
「1本の糸から未来をインプルーヴ(改善)!」
をモットーにする
「アパレル界のニット姫」こと
工業ニットスペシャリストのインプルーヴです。

このシリーズを楽しみにしてくださっている
マニアなみなさま(笑)お待たせしました!
なぜ「ニットデザイナー」(を選択した)のか?
前回の第②話【なぜデザイナーを目指したのか】
続編となりますが、先に質問の答えを書いておきます^^

一言でいうと、これこそひとりででも独立できる職業だ!」
思ったからです。
そんな工業ニットという職業との出逢いエピソードを…
 (前回をお読みじゃない方はこちらからどうぞ↓)
【なぜ ニットデザイナーなのか?】③-1

私が入社してすぐに企画室内のセクション割が
アイテム別からテイスト別に変わり、
それぞれのセクションが異なったブランドかの様に
フルアイテムでスタイリング提案して店頭でカセットできる
設計になりました。
…今書いてて思ったのですが、これはブランド内で新たな
ブランドをつくるシミュレーション的なものだったのかも
しれません。

画像
新人にとって最初の仕事「こうべまつり」パレードでの同期との写真

それで【フェミニン】セクションのアシスタントデザイナーに
配属された私は、
カット&ブラウス、ジャケット&ボトム、ニット、テキスタイル…
といった、
それまでのアイテム別セクションから配属されたすべての先輩の
アシスタントをすることになります。

ここで私は
【ニットデザイナー】と【ニットテキスタイル(=糸作る人)】
という職業の存在を知るのです☆彡
運命的な出遭いです!

突然ですが、この写真はそのころに展示会当番で
展示会場で撮られた写真です。
この服は私が配属されたフェミニンセクションではなく
コアセクションの企画ですが、
上下・ベルトまで全てニットで、しかも同じ糸で
編み組織やゲージを変えて作られているものです。

画像
「マイヒル」という自社オリジナルヤーンでのニットセットアップスタイル

当時はジャケットだけではなく、ニットのプルオーバーにも
全部肩パットが入ってましたw 時代感~

フェミニンセクションでの仕事に話を戻しますが、
そこでのニットデザイナーさんのアシスタントの仕事は
ジャカード配色の組み合わせを色鉛筆で塗り分けたり、
異なる糸の配置パターンをいくつも作ったり・・・
ニットテキスタイルデザイナーさんのアシスタントは、
倉庫に置かれている糸(コーン)別に糸見本帳を作ったり
複数の糸を手元で撚り合わせて杢糸の配色パターンをつくったり…
とにかく、それまで考えていた「デザイナー」とは異なる職域を
担う様子でした。

そして、何よりパタンナーさんとのやり取りよりも
ニット工場さんとのやり取りの方がはるかに多く、
ニット工場さんと布帛の「生地」にあたる「編地」から
自分たちで作りあげていく業務プロセスを見て、
(これならひとりでも独立できる!!)と
直感的に思ったのです。

…とはいうものの、当時私はまだ入社半年。。。
それに気付いた頃に上司から新たなセクションのアシスタントに
配属を命じられ…
もちろん、NOと言えるはずもなく…
その新しいセクションに異動しました。
新設されたセクション名は「現物班」(苦笑)
しかも、上席は全て本体コルディア外から来られた
いうなれば”外人部隊”。。。
本体コルディアから配置されたのは、
生産管理とテキスタイル管理の一つ上の先輩二人と
わたしだけ・・・
生産工場も、本体がお願いしている工場には依頼してはならず、
当時・兼松さんという商社さん経由で
テーブルメーカーさんを紹介してもらい、
パタンナーもそちら経由の外注パタンナーさんに
お願いしていました。

コルディアの中にあるけれど、
まるで「コルディア」ではないセクション。。。

これはこれでとても勉強になりました。
超巨大ブランドのネームを持ちながら、
新ブランドの立上げを体験したようなものでしたので。
ーでも、このセクションも2年足らずで解体され、
2人の先輩と私は、元のコルディア本体のセクションに
其々組み戻されました。

…この時もうすぐ3年目というタイミング。
「本当はニットデザイナーの仕事を覚えたい…」と
入社時からとてもかわいがってくださっていた
ニットテキスタイルデザイナーの小池先輩に
相談してみたところ、
「チーフに正直に気持ちを伝えてみたらいいと思うよ。
そして、その後にコーディネーターに言ってみな。
ただ、この順序は間違えたらアカンよ。
先ずはセクションのチーフに相談、やで!」と
アドバイスをいただきました。

私は、小池先輩からのアドバイス通り、
先ずはフェミニンセクションのチーフに時間を作ってもらい
勇気を出して正直に気持ちを伝えました。
内心、心臓バクバクです💦
「だったら、辞めたら?」って言われたらどうしよ~って^^;

チーフは一言、「わかった。考えておきます」とだけ…

それから、3日ほど間を空けた翌週に
おそるおそるコーディネーターのところへ・・・
「丸山コーディネーター、お話したいことが…」
「あ、スーさんから聞いてるで!ニットの仕事がしたいんやて。
異動先調整してるからちょっとまっとけ~」と。
今思うと、何と寛容なブランドだったのでしょう💛

奇しくも数か月先に又もやセクション分けの
シャッフル計画があり、
ブランド幹部はその調整中だったみたいで。
しかも、入社直後のアイテム別セクション分けに
変わる構想でした。なので、そのアイテム別セクション
分割のタイミングでニットセクションの3年目として
配属されました♪ 超!ラッキーです。

入社前、就職が決まった時に学校から
「後輩の進路の為にも3年は辞めずに
会社に奉公するようにー」と言われたので、
「3年でワールドの仕事全部覚えて転職し、
3社くらい転職して35歳までに独立する!」と、
なんの根拠もなくそう思っていた私ですが、
なんと3年目にしてようやく自分がやってみたいと
思えるデザイナーの路を見つけて、
やっと入口に立てた…というところです^^;
このチャンスを逃すわけにはいきませんので
3年で転職するのは、3年先延ばし。
ここから私のニットデザイナーとしての
修行の日々が始まるのです…

学生時代に一切ニットの基礎を学んでいない私にとって、
工場さん毎に違う
 ・編機の機種? 
 ・ゲージ?
素材ごと、デザイン毎に変わる
 ・糸番手?
 ・本数取り?
 ・編み組織???
全てがわからないことだらけ(涙)
多少は先輩も教えてくださいますが、
当時みんな超忙しい!
その上3年目なので後輩もいるので、
無知さが恥ずかしい^^;

ニットデザイナーは工場さん毎にデザインの
インダストリー(製造工程管理)担当を持つのですが、
相手方の工場さんの方はほとんどが社長さん。。。
しかも、あのワールドを創業時から共に
歩んでいる社長さんばかり…
正直、メチャメチャコワイんです^^;
(私が任せられた社長さんが特殊だったのかもですが^^;)

その工場の社長さんとの電話での
ニットらしいエピソードをひとつ・・・

私:「社長、今お願いしている編地ですが、
   いつごろ編み上りそうでしょうか?」
工場の社長:「はぁ~っ(怒)あほか。
   ニットが編みあがるわけないやないかい!
   上がってどないすんねん!
   ニットはな、編み下がるんや!「下がる」や。
   よー覚えとけ!」
私:「す、す、すみません、意味がわかりません(ビクビク)」
社長:「はぁ~~?! オマエ、編機も見たことないんか!どあほ」
私:「すみません……(/ω\)」

↑この当時、コルディア内では「出張禁止令」というのが
発動されていて、当時のブランド長が
「遠いとこまでわざわざ出張なんか行かんでも
口があるんやから電話だけでものづくりやってみろ」と…

画像
芝部長と当時の企画室デザイナー・パタンナー

その意図はわかりませんが、
経費にはとても厳しい部長だったので
経費削減の意味もあったのかもしれません。
そんな訳で、私はまだニット工場に行ったことがなく、
当然編機も見たことがなくて…
でも、そんなことをこの社長に言えるわけもなく…
言い訳しても仕方なく…。
ーで、ほぼ経費が掛からない大阪の工場さんに
出張させてもらって初めて【編機】を目にして
”編み下がる”の意味を理解しました(苦笑)

そんなこんなな社長さんたちに怒られて…いえ、
学ばせていただいて、
沢山の愛の鞭のお陰で私は少しづつ無知から
脱却していくのでした。

ニットのことが少しわかってきたころ、
部長も変わると出張禁止令も解かれ、
とたんに国内出張にとどまらず
香港出張、上海出張…と海外工場との
ものづくり担当を任されるようになりました。

私の海外工場への出張で一番印象に残っているのは
「内蒙古・カシミヤ産地への出張」と
当に中国の急成長をリアルに見ていた「上海出張」です。
今日のTOP写真はその内蒙古での
サンプル修正説明時の写真です。

当時の内蒙古…まるで「大地の子」のドラマそのものー
二度とできない貴重な体験をさせていただきました。

ーのですが、この話は当時のカシミヤ工場の写真と共に
続く…にしますw

improve編集部
お問い合わせ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です