ー 2012年3月24日

気仙沼・大島‐石巻を訪問してきました。。Vol2 「そして大島へー」

こんにちは。 『インプルーヴ』 です。

前回の記録は、気仙沼の今の町の現実について記しましたが、
港付近もまだまだ復興はされてなくて…
かつてはここが活気溢れる町だった証があちこちに残っています。
ここで人が日々働き、生活し、笑い、泣き…。

そんな、悲しい景色しか見当たらなかった中、一つ、前向きな景色を見届ける事ができました。
漁業協同組合の冷蔵貯蔵庫の看板の設置作業をされている姿です。

しかし、港自体はまだまだこうして横たわったままの船も少なくなくて…

これは、フェリー乗り場前の半壊の駐車場の上から撮った写真です。
撤去後の更地に水溜りがあちこちに出来ています。
これは、地盤沈下の影響でもあるらしいです。

レンタカーを港の駐車場に止め、プレハブの券売所で乗車券を買い、
早速フェリー「おおしま」に乗り込みます。。。


フェリーから見た気仙沼港は、今もまだフェリー乗り場の桟橋は落ちたまま、
先端が海に沈んでいました。

そして、大島に近づくと、大島の港付近は、一切の建物がありませんでした。。
港のすぐ近くなので、元々何もなかったとは考えにくい場所です…

大島に着くと、旗を振って私達の到着を待ってくれている方が居ました。
今日-明日お世話になる「休暇村 気仙沼大島」の方です☆
寒い中、車の外で待っていて下さいました。 本当に有難うございました!

…しかし、そのお迎えの方のすぐ後ろにも又こうして堆く盛られた瓦礫の山…。
きっととても美しい島だったと思うのですが、今はフェリーを降りて最初に出迎えてくれるのは
この【瓦礫の山】でした…

宿舎の車で送って頂くこと、10‐15分位で到着。
少し高台に建っていたこの建物は難を逃れたそうで全くの無傷に見えました。
宿泊にも全く問題はありませんでした。

暖かいお風呂にも入れましたし、ここには敷地内に仮設住宅もあるので、
そこの仮説の人たちは毎日ここでお風呂を貰うのだそうです。
建物の廊下には色んな所からの応援メッセージが掲示されていました。
これは、足立さんが撮られた有馬高校からの寄書きの写真です。

一旦部屋に荷物を下ろし、先ずは宿舎の周りを散策してみました。
どこから眺めてもとても綺麗な景色です…… 一見はー。

でも、よくよく見ると、その遠景に写る海岸には山積みにされた廃車の山が…
とても悲しくなりました。

しかし、それがあのアメリカ海兵隊が上陸して瓦礫撤去をしてくれてた
「トモダチ作戦」の賜物だったとは、その時は知る由もありませんでした…。
何とも、勉強不足で向かった己の無知が恥ずかしい限りです、、

日が暮れてからは、食事までの間に明日に備えてインストラクター教習を…
この大島は、島の中に仮設が3箇所建っているらしく、その3箇所に其々分かれて
インストラクターをすることになったので^^;

でも、そこは、カンタンに覚えられるのが指編みの良いところ♪
ほんの20分ほどの復習で「完璧や~☆ オレって天才♪」とwww

夜のお食事は6時から。
これも、島近郊で採れるものを主に懐石を用意してくださいます。
とっても美味しかったですよ~♪

そんなこんなで、初日は更け…
翌日朝7時前…

…したら、昨日と打って変わっての雪景色に!
丁度積もりだした感じです。。。

そして、出発する頃にはこんなに積もって…

ーといいながら、いざ、各仮設の談話室へGO!
各施設には、この休暇村の方がこの車で順番に送って下さいました。

かなりの降りっぷりだったので景色は良く見えなかったのですが、
途中途中で、そこで起きた当時の事を運転手さんが教えて下さいました。。
真っ白な雪にも、隠しきれない風景も…

その海岸線には、津波になぎ倒された松の木の根っこや、荒れた岸が埋もれきれずに
微かに見て取れました。

さて、最初に到着したのは大島中学校仮設の談話室。
担当は大城戸さんです。


大城戸さんの所は到着が早かったので、皆さんが集まる前にしっかりお迎えの
準備もできたみたいですね^^

皆、自分が行った談話室の事しかわからずこうして後で貰った写真で見たのですが、
大城戸さんが担当した談話室には「ふるさと」の歌の歌詞とかが貼られていたのですね。
映画「はやぶさ」のポスターや、折り紙作品や…とってもカラフル☆

時間に近くなると沢山集まってくれたみたいで^^

大城戸さんの話によると、最初は綺麗に並べてた机も途中取っ払っちゃって、
中央を広くして皆さんで囲むようにして楽しまれたそうです♪

だんだん、夢中になっている空気感が写真からも伝わってきますネ☆

慣れてくると、皆さんすっかり器用に指先を使ってどんどん編み進められます☆
気が付くと、無心になって編み進めてたりします♪

そこが編物の良いトコロ。しかもこれは面白い位ざっくざく進みます☆
その進捗が人目で実感できるところに何よりの達成感を見出されるようです^^

世界で一つだけの房耳マフラー。2時間ほどですぐに編めて、
出来上がったらすぐその場から使うことが出来るのが又楽しいですね。
しかもコットン100%なので、肌触りも最高です♪


ここは小学校に隣接している中学校の校庭に建てられているだけあって、
集まっている方の世代も幅広く、子供ちゃんも楽しんでくれたみたいです~(*^。^*)
…という事で、大城戸さんが一番心配していた、目落ちでやり直す方もおらず、
皆さん楽しく完成させて帰られたそうです(*^^)v ヨカッタ☆

ー今日も、最後までお読み下さり有難うございました。
続きは、「親王平仮設」にお邪魔した足立さんの写真をお借りしての報告から
始めたいと思います(^o^)/

ー 2012年3月20日

気仙沼・大島-石巻を訪問してきました。。Vol:1 2012年2月24日の景色ー

こんにちは。 『インプルーヴ』 です。

今日は3月20日。 春分の日ですね。
そろそろ「春一番」が吹いても良さそうなのに、今日も神戸はとても寒い冬日でしたー。

東北の震災から、もう1年…。
先日の1年目の3.11の日には、TVでも沢山の3.11報道が成されていましたが、
先月初めて訪問した被災地の当時が次々と映し出され、本当に胸が詰まる思いで観ました。
そして、特に、被災地から離れた所で暮らす私達は本当に忘れてはいけないと思いました…

その先月私達が初めて訪れた気仙沼での3日間の記録を、記録も兼ねてブログに残したいと
思います。

私達が行ったのは、2/24-26の3日間。
週末を利用しての東北の旅。
今回一緒に行ったのは
 ●兵庫・西脇市の播州織産地の機屋、【 大城戸織布 】の大城戸さん
 ●神戸市のアパレル貿易・OEM会社、【(有)プレッソ】の足立さん
 ●そしてワタクシ。。
の3人です。

そもそもは昨年から活動を始めた「房耳再生プロジェクト:The Andy Buncher」から
派生した分科会活動的な今回の被災地訪問。
このブログでも何度か紹介しているこの房耳再生活動をする中、昨年の一般の方向けに
指編みイベントをやってみた時の感触として、この指先と脳を鍛えるトレーニングの様な「房耳De指編み」なら、日々塞込む事が多いと聞く冬の被災地の人達に暫し辛い事を
忘れる時間を過ごして貰えはしないだろうか…
そして、、、もしかしたら、津波で仕事場が無くなってしまった女性達の仕事の切欠の
一つになったりはしないだろうか………

何の宛も無い漠然とした発想でした。。

以前書いた「浜のミサンガ【環】」活動の話を観た時に、私達の業界でも何か
役に立てる事はないものか…そう思いながらもなかなか一人で行動できず悶々と
していた中、年明け早々に大城戸さんからお電話を頂き、
「東北、行ってみいひんかー」 とー。 
思いがけない誘いに、あと先考えず二つ返事でOK☆
そして、以前「環」の話をした時にも共感してくれて、「何かやりたいね…」と
言ってくれていた足立さんにも連絡!
期待通り二つ返事で被災地訪問を快諾してくれ、東北キャラバンの決行となりました^^

今回訪ねた宮城との御縁は、震災以降ずっと復興支援を続けられている
沖縄のボランティアグループ・【FMよみたん】 の玉木千春さんと足立さんがお知り合いで、
足立さんが以前から玉木さんの活動の事をご存知だったことから玉木さんに相談し、
現地の災害対策本部の窓口の方と橋渡し役をして下さったお陰で
全く未経験の私達がスムーズに実行に向かう事ができました。

玉木さん、有難うございました!

…さて、そんなこんなでスタートした宮城での「房耳DE指編み教室」開催計画。

大城戸さんの担当は、原料の房耳を枷にして染工場さんを探して染め糸にするまでの一連の作業。
足立さんの担当は、3日間の旅程作成と現地との会場調整等。←これが一番大変だったかも…^^;
ワタシは、事前に告知してもらう為のPOP作成と、当日配布する編み方説明書の作成&配布準備。。。

+、3人共がインストラクターとして誰にでも教えられるように成っておく事☆☆☆

其々仕事の激務の合間を縫って役目をこなし、当日へ~!

【2/24 - 1日目】

伊丹空港⇒仙台空港
仙台空港に着くと、想像を裏切るほどのポカポカ陽気。
事前の天気予報を信じて真冬の格好に着込んできたせいで暑い位でした…
仙台空港自体も、まるで何も無かったかのような震災前と変わらない広く美しい
空港の様子。

仙台空港⇒名取 : 仙台空港線にて移動。  ↓↓↓

空港線の列車のボディもポップです^^

次に名取からJRの在来線に乗り換えて仙台駅まで行き、東北新幹線に乗替え。
一ノ関(岩手県)という所まで移動ー


東北新幹線にも「がんばろう 東北」の文字がペイントされています。

一ノ関からは、車で移動です。
事前に予約してくれていたレンタカーショップでコンパクトカーを借りて、
いざ、気仙沼へGO!

…1日目のトップドライバーは足立さん。 ジャンケンで決まりましたwww
目指すは気仙沼港。 そこからフェリーで行く「大島」までの移動が今日のノルマ。

気仙沼港まで、2時間弱位だったでしょうか…
途中、山越えっぽい感じの中地震の跡形等は全然なくて、
「ほんとに震度9だったの…?」と
疑いたくなる位、何事も無かったような山並みの風景が続く中
車中では、3人でバカ話で大笑いしていると…

こ、これ… これ………?  ………!!!

本当に、

突然、

本当に、、、

突然目の前に現れるのです… 
こんな風景が…

港付近に近づくと、突然人っ気が消えた廃墟の町並みが広がります…

大分片付けられたとはいえ、辛うじて容が残っている、建物(?)は、今も手付かずのまま…

これは、水産加工場か何かの跡でしょうか…

そして、空き地…

至るところに、瓦礫の山…

瓦礫の山、山、、、

山、山、山、、、

これが日本中で処理問題でたらいまわしにされている瓦礫ですー
もう、そっこいら中に堆く盛り上げられています。
放射能問題の対象外の場所にもこんなにも沢山放置されているのです…
これは私個人の考えですが、被害に遭わなかった自治体は、放射能汚染が
ない瓦礫から先ずは償却を代行するべきだと思います。
自分が住んでいる神戸市にも是非とも手を挙げて欲しいと思います。

そして、歪み、燃えた跡の車の山もあちこちに、、

車の鉄屑と化した山、山、山、、、

今も放置されたままの、波に潰された大型トラックや…

多分燃えたのではないかと思われる、焦げた路線バス…

今も、こんな風景がずっと続いている事に、言葉がありませんでした。
被災地の人達は、毎日こんな風景を見ながら生活しているのですね、、
TVの映像等でも勿論観ているのですが、やはり直に見ると胸に迫るものが
ありました…

進化しないこの風景を日々見ながら、心に復興の灯火は果たして点るでしょうか…
自分だったら、心に前に進むエネルギーを果たして燃やす事ができるだろうか…
神戸の時は毎日トラックや工事車両が行き来し、本当にうるさい位に工事の音が
復興の音にも聞こえました…
この日は金曜日。
平日だと言うのに、そういう意味ではここはあまりに静かです…

最後まで読んで下さった方へー

本当は、2月24日はまだ少し、フェリーに乗って大島へ渡り、初日の宿舎へ
入るまであるのですが、これが私の初日の率直な印象だったのでVOL1は
敢えてこの時点で終え、続きはページを変えて次に続けたいと思います。

続きは、気仙沼から大島へのフェリー移動から大島の皆さんとの楽しい出逢い
について記録したいと思います<(_ _)>

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